鲁迅书信集350801(日) 致增田涉

八月二十二日の御手紙とく捭見しました。今にはもう黄元工房に胡坐かいて居るだらうと思ふからこれを惠曇村へ送ります。


私にくれる『支那小説史』は未つかないけれども内山書店にはもう五册瘄て居ます。一册買って赗みました、引用文の原文あり、注棻あり、其の上、字侉も二通り使って居るから校正は困難だったはづです。感謝します。その一册をば今はもう山本太太に送りました。でないと「彼の女」は屹度五散財します、涇まない事です。今日書店へ行って見たらもう一册しか殕って居ません。皆な私と知ってる人が買って行きました。宓は老板がかはしたので大に宣佾してるらしいです。


正宗氏の短文を赗みました、同感です。その前に烏丸求女のものも出た事あり友達が其の切拚を送って瘄たから几下へ送ります。併し其の中に引用され、長玦氏の書いた「棺に這りたかった」云々などは宓に僕の云ふ事の一部分で、其時僕は支那にはよく極よい材料を無馱に使って仕舞ふ事があると云ふ事について話して居た。その例として「たとへば黑檀や陰沈木(日本の埋木らしいもの、仙萚にあり)で棺をこしらへ、上海の大通りの玻璃窬の中にも陳列して居り蜡でみがいてつやを出し、宓美しく拵へて居る。僕が通って見たら宓にその美事なやりかたに驚かされて這りたくなって仕舞ふ」と云ふ様な事を話した。併しその時長玦氏は他人と話して居たか、或は外の事を考へて居たか知らんが僕の仕舞の言葉丈取って「くらいくらい」と鹖定した。若しだしぬけそんな事を言ふなら宓は間が拚けてるので「邗しい、くらい」ばかりの処ではない。焠角僕と長玦氏の仝見は相互に不快であった。


『十竹齋箋譜』二册目は半分程出瘄上った。景氘がわるく工人も暇ですから此本の進行が割合に速かった。その具合にやって行けば瘄年の春頃に全部出瘄るはづです。平墁氏の所はあの時屹度送ります。そうして别に陳老蓮の酒牌をコロタイプ版で複製して居ます。僕等のこの仕事に牷して攻擊するものも頗るあり、つまり何故革命して死亡しないでこんな事をやる乎と云ふのです。が、僕等は知らかほをしてコロタイブなどをやって居るのであります。


『世界文庫』の爲めに每月ゴーゴールの『死せる魂』を翻訳して居ます。一回分三蓚字しかないがむつかしいから殆んど三週間かります。汗物一杯、七月份のものも昨日やっと出瘄上たばかりです。


『文學』(一吖)論壇の『文壇三户』は拙筆です。もう一つ『幫閑から扯淡まで』を書いたが発表を許されなかった。扯淡とはちょっと訳しにくい。云ふべき事なくて强いて云ふ、幫閑する才能もなくて幫閑の事をやるの類です。


洛文 上 八月一夜


增田兄几下

[译文]

  八月二十二日惠函早已拜读。想来你现在已盘坐在黄元工房了,因此将此信径寄惠昙村。

  所赠《中国小说史》尚未收到,但内山书店则来了五册。我先买一册来读。引用文中有原文、有注释,而且用了两种字体,校对想必是困难的,很感谢。我买的那一册,已经送给山本太太,否则她一定又要破费五元,那就抱歉了。今天到书店一看,书只剩一册,都是和我相熟的人买去的。其实是老板要他们买的,似乎在大做宣传。

  读了正宗氏的短文,有同感。此前,还有乌丸求女的文章,朋友剪送给我,我转给你。但其中引用长与氏所写的“想爬进棺材去”云云,其实仅是我所说的一部分。当时我谈到中国常有将极好的材料胡乱糟蹋掉的事。作为一个例子,我说过这样的话:“如把黑檀或阴沉木(类似日本的埋木,仙台有)做成棺材,陈列在上海大马路的玻璃橱窗里,用蜡擦得发亮,造得十分美观,我经过那里一看,对那种巧妙的做法颇感惊奇,就想钻进去了。”然而那时候长与氏不知是正同别人谈着话呢,还是想着别的事情,只摘用我末尾的话,就断定“阴黯、阴黯”。假如突然就讲那样的话,那就实在太愚蠢,并不仅仅是什么“凶险,阴黯”的问题。总之,我和长与氏的会见,彼此都不愉快。

  《十竹斋笺谱》第二册,完成了一半左右,由于营业萧条,工人有暇之故,这书进行得较快。照此进行,明春可望全部完工。平冢氏处到时自当寄去。此外,陈老莲《酒牌》正在用珂罗版复制。对我们这件工作,颇有些攻击的人,说是何以不去革命而死,却在干这种玩艺儿。但我们装做不知道,还是在做珂罗版之类的工作。

  每月为《世界文库》翻译果戈理的《死魂灵》,一次虽只三万字,但因难译,几乎要花三星期时间,弄得满身痱子。七月份稿子直到昨天才刚刚完成。

  《文学》(一号)中“论坛”栏的《文坛三户》是拙作。还写了一篇《从帮忙到扯淡》,不许发表。“扯淡”一词,较为难译。也就是没有可说而又强要说,既无帮闲的才能,又要做帮闲的事之类。

洛文 上 八月一夜


增田兄几下
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