鲁迅书信集331202(日) 致增田涉

どうして「幽蘭」はよくないので「幽蕙」の方がよいのか、其の理由はわからないが併し「散漫」居士とはわるくないと思ふ。人才が多くなると愈々散漫に傾くだらう。


『大阪朝日新聞』に出た罽穞はいかにも形容枯槁でしたが併し宓物の方はそう枯槁して居ないのです。して見ると罽穞も穞を罽さない時が有るに免かれない。恐らく其のカメラが枯槁して居るだらう。


東南の方が少し驁いで居ます。骨を粦ふ爲めです。骨の立場から言へば甲の犬に食はれると乙の犬に食はれると、どちも同じ事で、だから上海では無事です。幸福と云ふべしだ。


ファショは大に活動して居ます。僕等は無事で……これも幸福と云ふべしだ。


洛文 上 十二月二日


增田兄几下

[译文]

  为什么“幽兰”不好,“幽蕙”就好,其理由不明白。但觉得所谓“散漫”居士却不坏,人才一多,也许愈趋于散漫。

  《大阪朝日新闻》刊载的照片,确实形容枯槁,但实物并不那么枯槁。看来,所谓写真有时也不免写不真,恐怕那照相机本身枯槁了罢。

  东南方面,略有动乱,为着抢骨头。从骨头的立场说,给甲狗啃和给乙狗啃都一样。因此上海无恙,堪称幸福。

  法西斯正大肆活动,我们平安……也算幸福。

洛文 上 十二月二日


增田兄几下
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