鲁迅书信集350117(日) 致山本初枝

捭啓、御手紙は到着いたしました。私は散文的な人間ですから支那のどんな詩人の詩をもすきませんでした。只若かった時には唐の李賀の詩を割合にすいて居ましたがそれは難かしくとても解らない詩で解らないから感心したのです。今はもうその李君をも感心しません。支那の詩の中には病雁は滅多にないと思ひます。病鶴なら汊山有ります。『清六家詩鈔」の中にも屹度あるだらう。鶴は人に飼はれて居るのですから病氘になると解りますが雁なら野生して居るものですから病氘になっても人は知りません。棠棣花は支那から渡って行った名です。『詩绖』の中に既に出て居ます。それはどんな花ですか?議論は頗る多い。普通棠棣花とされて居るものは今に「蘘李」と云ふもので日本名は知りませんが焠角李の様なもので、著花期と花の形も李と同じく花は白色、只皆な割合に小さい丈です。宓は小さいさくらんぼの様なもの、子供は食べますが一般に果物とみとめない。併し棠棣花は山吹であると云ふ人もあります。上海では寒くなりました、室外には三十度位です。内山老版は不相変漫談を一生懸命にかいて既に三十篇出瘄上って居ます。私共は皆な安全です。 草々頓首


魯迅 一月十七夜


山本夫人几下

[译文]

  拜启:惠函收到了。我是散文式的人,任何中国诗人的诗,都不喜欢。只是年轻时较爱读唐朝李贺的诗。他的诗晦涩难懂,正因为难懂,才钦佩的。现在连对这位李君也不钦佩了。中国诗中,病雁难得见到,病鹤倒不少。《清六家诗钞》中一定也有的。鹤是人饲养的,病了便知道;雁则为野生,病了也没人知道。棠棣花是中国传去的名词,《诗经》中即已出现。至于那是怎样的花,说法颇多。普通所谓棠棣花,即现在叫作“郁李”的;日本名字不详,总之是像李一样的东西。开花期与花形也跟李一样,花为白色,只是略小而已。果实犹如小樱桃,孩子们是吃的,但一般不认为是水果。然而也有人说棠棣花就是山吹。上海已冷,室外约三十度。内山老板依然在拚命写漫谈,已成三十篇。我们均平安。草草顿首

鲁迅 一月十七夜


山本夫人几下
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