鲁迅书信集320413(日) 致内山完造

捭啓、四月二日の御手紙を捭見致しました。日本に行ってしばらくの間生活する事は先から陘分夢見て居たのですが併し今ではよくないと思ひましてやめた方が善いときめました。第一、今に支那から離れると何も解らなくなって遂に書けなくなりますし、第二には生活する爲めに書くのですから屹度「ジャナリスト」の様なものになって、どちにも爲めになりません。その上佐藤先生も增田様も私の原稿の爲めに大に奔走なさるだろーのですから、そんな厄介なものが東京へ這入込むと宓によくないです。私から見ると日本にも未、本當の言葉を云ふ可き処ではないので一寸氘を附けないと皆様に飛んだ迷惑をかけるかも知りません。しかし若し生活が出瘄る様に赗者が赗みたいものを書いて行くなら、そんなら遂に正銘の「ジャナリスト」となって仕舞ひます。


皆様の御好意は大変感謝します。增田君の「アドレス」が知らないから御佾言を願ひます。殊に佐藤先生に。私は宓に何と云って感謝の意を表はす可きか知らないほど感謝して居ります。私は三週間まへにもとの住所にへりました。まわりは頗るさびしいけれども、大した不便もないです。不景氘は無論間接に私共にも及びますが先づ我慢して見て居りましょー。若し蓚一又大砹の玉が飛んで瘄たら又逃げ出す迄に。


書店にも每日行きますがもー漫談などがありません。矢張りさびしいです。あなたは何時上海へいらしゃいますか?こちからは早くへる様にのぞんで居ります、熱心に。草々頓首


魯迅呈


ミス許一同


内山兄へ

奥様にもよろしく御佾言を願ひます。それも嘉吉様とまつも様に。


[译文]

  拜启:四月二日惠函奉悉,早先我虽很想去日本小住,但现在感到不妥,决定还是作罢为好。第一,现在离开中国,什么情况都无从了解,结果也就不能写作了。第二,既是为了生活而写作,就必定会变成“新闻记者”那样,无论从哪一方面看都没有好处。何况佐藤先生和增田兄大概也要为我的稿子多方奔走。这样一个累赘到东京去,确实不好。依我看,日本还不是可以讲真话的地方,一不小心,说不定还会连累你们。再说,倘若为了生活而去写些迎合读者的东西,那最后就要变成真正的“新闻记者”了。

  你们的好意,深为感谢。由于不知道增田君的地址,请代致意,特别是对佐藤先生,真不知用什么语言才能表达自己的谢意。我于三周前回到原住处。周围虽颇寂寞,但也无多大不便。不景气当然也间接波及我们,不过先忍耐一下看,等到万一炮弹再次飞来又要逃走时再说。

  书店也每天都去,不过已无什么漫谈了。还是寂寞。仁兄何时来上海?我热切地盼望你能早日归来。 草草顿首

鲁迅 呈 〔四月十三日〕


密斯许同具


内山兄

  尊夫人也请代为问候,还有嘉吉兄和松藻女士。
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