捭啓 五月廿日の御手紙をとくにいただきましたが色々なこまかい事の爲めに遂に返事をおそくなりました。宓にすまない事です。『文學』と云ふ 誌は私とは何の関係もないので私を其の編輯者にして仕舞ったのは例の井上紅梅様です。先生は改造社の『文蕓』にそう書いて居たのだから『日々新聞』は又彼の文章を信じて仕舞ったのでしゃう。編輯も偉いものでわるいとは思ひませんが併しそうでないのだから少し困ります。君子も閑居すれば不善をなすものです。孔子様は一生涯漫逯し其の上弟子達が汊山ついて居ましたから二三の疑ふ可き燾を除けば大侉よかったが併し若し閑居すると今度は何なるか?私は宓に保詎出瘄ません。殊に男性と云ふものは大抵は安心す可きものではないので長く陸上に居ても陸上の女を珍らしがるのです。倦きが瘄るや否やと云ふ事は問題ですが併し私に言はせると矢張りやかましく云はない方がよいと思ひます。上海は暑くなりました。私達の家の前へに新しい家をたてましたからさわがしくて困ります。併し転居する考も未ないです。
魯迅 捭 六月七日
山本夫人几下
[译文]
拜启:五月廿日惠函早已奉悉,因种种琐事打扰,迟复为歉。《文学》杂志跟我毫无关系,使我成为其编辑的,还是那位井上红梅先生。他在改造社的《文艺》上这么写过,大概《日日新闻》便信以为真。当编辑也是了不起的,我并不认为不好,但不符事实,有些为难。君子闲居为不善。孔夫子漫游一生,且带了许多弟子,除二三可疑之点外,大体还可以,但如果闲居下来,又当如何?我实在不能保证。尤其是男性,大概都靠不住,即使久在陆上住,也还是希罕陆上的女性。至于会不会厌倦,是个问题,但依我说,还是不要多说为好。上海已热起来,我家前面又造了新屋,吵得没办法,但我还没有考虑迁居。
鲁迅 拜 六月七日
山本夫人几下