鲁迅书信集320531(日) 致增田涉

捭啓 五月二十一日の御手紙は捭見しました。して見ると私の送った小説は頗るあなたの買ったものと重出して居ます。そんなものはもう支那へらせる必要がないのであなたの処分にまかせます、例へば同好の士にやって仕舞ふとかなど。


漢からの「ユーモア」はよしましょー。何んだか難かしくてその上に「ユーモア」らしくなく、入れると不調和になります。


木の宓君の御罽穞も捭見致しました。宓にあなたに似て居ます、無論「テロリズム」は别として。しかし人形二つまで持って居る処から見ればおとなしい方です。海嬰は一つも完全な玩具を持て居ない。その玩具に牷する學説は「見てそーしてこわして」と云ふ。


その海嬰たるものは避難中に麻疹にかかりうまくひとりで直ほりました。こんどは「アメェバ赤痢」にかりました、もう七度注射して「アメェバ」たるものはとくに滅亡したのだろ—けれども下痢だけは未なほりません。しかし近い内によくなるだろーと思ひます。


弟は安徽大學の教授になりました。しかし近頃支那にはそんなにたやすく御飯を食べられる処がないので呼びに瘄たのは屹度何んだかあぶない処があるからです。今には行ったは行ったがへる旅費を用意して行きました。遠からず又上海へ瘄るのでしょー。


私共は御かげ様で不相変です。


今日内山老板に賴んで『北斗』など少し許り送りましたが矢張御かげ様で不相変よい作品もない様です。 草々頓首


魯迅 五月三十一夜


增田兄へ

[译文]

  拜启:五月二十一日惠函奉悉。看来我寄去的小说颇和你买的重复,那些书毋须寄回中国,可由你处理,如送给同好。

  关于汉以后的“幽默”作品,可作罢。因为既难懂,又不那么“幽默”,选进去不协调。

  木实君的玉照看到了,实在像你,当然“恐怖主义”自当别论。但从她抱着两个玩偶看来,倒是个温顺的孩子。海婴是连一件完整的玩具也没有的。他对玩具的理论,是“看了拆掉”。

  海婴这家伙在避难中患了麻疹,又顺利地自己好了。顷又患阿米巴赤痢,已注射七次,阿米巴虽早已灭亡,但肚泻还未见好。我想最近就会痊愈的。

  舍弟已任安徽大学教授。但中国近来没有这么容易吃饭的地方,竟来叫他去,其中必是因为有什么危险之处。现在去固然去了,却是准备了回来的旅费才去的,谅不久又将返沪。

  我们托福还是老样子。

  今天托内山老板寄上《北斗》等刊物,也托福仍是老样子,没有好作品。 草草顿首

鲁迅 五月三十一夜


增田兄
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