鲁迅书信集340318(日) 致增田涉

捭啓、惠曇村よりの御手紙はとくに捭見しました、今にはもう東京に到着しましただらうと思って少しく書きます。


北平箋譜についての二燾は御尤ですが第一燾の事は印刷する前にも頗る紙屋と談判しました。併し一度濃くすれば纴の具が版について此の次の宓用箋を印刷するに影響するからと云って遂に承知してくれなかった。第二燾は私はわざとこう云ふ風にしたのです。宓に云へば陳衡恪、齊璜(白石)以後、箋畫はもう衰退したので二十人合作の梅花箋、既に無力、御猿様などに至っては大に俗化して仕舞った。これからは滅亡するのでしゃう、舊式の文士も段々へって行くから。それで私は虎頭蛇尾の硚を呈されて末流の箋畫家を表彰したのです。


彤工、印工も今にはまだ三四人殕して居ますが大抵みじめな生活狀態に邛入って居ます。これらの連中が死んだらこの技術も仕舞ひ。


今年からは私と鄭君二人で每月少づつ金を出して明の『十竹齋箋譜』を復刻さして居ますが一ケ年位で出瘄る筈です。その本は精神頗る纖巧で小さいものですが焠角明のものですから回生さして置こう丈の事です。


私の一九二四年以後の訳作は皆禁止されました(但し兩地書と箋譜は除外)。天津の新聞には私は朐膜炎に罹ったと記載して居ました。併し宓は頭朐冷肐、不相変健康です。只海嬰奴が「インフルエンザ」にかかって二週間怒って居ましたが今にはもうなほってきました。


迅 捭上 三月十八日


增田兄几下

[译文]

  拜启:从惠昙村寄来的信,早已见到,今谅你已抵东京,即写上几句。

  关于《北平笺谱》的两点意见甚是。第一点在付印前虽屡与纸店交涉过,但他们说颜料一过浓,就粘到版上,下次印实用信笺会受影响,终究听不进去。第二点,是我特意这么做的。说实话,自陈衡恪、齐璜(白石)之后,笺画已经衰落,二十人合作的梅花笺已感无力,到了猿画就很庸俗了。此后将灭亡了罢,因为旧式文人逐渐减少了。所以,我显示其虎头蛇尾之状,表彰末流的笺画家。

  雕工、印工现在也只剩三四人,大都陷于可怜的生活状态中,这班人一死,这套技术也就完了。

  从今年开始,我与郑君二人每月出一点钱以复刻明代的《十竹斋笺谱》,预计一年左右可成。这部书是精神颇纤巧的小玩意,但毕竟是明代的东西,只是使它复活而已。

  我一九二四年后的译著,全被禁止(不过《两地书》与《笺谱》除外)。天津报纸记载我患了脑膜炎,其实我头脑冷静,健康如常。倒是海婴小家伙患了流行感冒,闹了两星期,现已好了。

迅 拜上 三月十八日


增田兄几下
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