鲁迅书信集350206(日) 致增田涉

一月卅日の手紙捭見しました。木宓女士の僦作は中々「一笑的東西」ではない。もう頭から棒四本引いて手脚とする様な境界から脱出して頗る罽宓的になって居ます。顔のかき方も端正になって居ます。唐美人の纴をばもうもとめましたが僕の字が出瘄たら一所に送ります。


ところが、こちの海嬰男士は中々の不勉强家で本をよみたくなく、始終兵隊の穞似をして居ます。殕酷な戬粦の活動罽穞を見たらびっくりして少しく肐かになるだらうと思って一週間前につれて見せましたらもう一層さかんにやり出した。閉口。ヒトラーの徒の多きも蓋し怪むに足らざるなりだ。


白話の信を赗みました、処々日本的な句があるけれども大抵解ります。た二三句解りにくい。宓に支那の白話そのものは未成形のもので外國人には云ふまでもなく書きにくいものです。吴君と云ふ人はよく知りませんが併し返事の中に引かれて居る所の議論を見れば頗る言ふに足らない人だと思はれます。第一、僕は『幽默は都仝的だ』と云ふ説に钖成しない、支那の農民の間は幽默を使ふ時は都仝的小市民よりも多い。第二、日本の切腹、身投を幽默的に見えるのはどう云ふわけだらう?事物を踡墈的に見、或は書くのは無論甚だ結構な事だが、併し眼光を小さい範囫内に置いてはいけない。第三、露西箓の文學に幽默なしとは事宓と反牷だ。今でも幽默作家が居ります。吴君はもう自淶して居るらしい、しからば、一人のプチブル作家にとまるだらう。僕から見れば手紙をやってもよい結果はないだらう。


併し近頃、同君の故鄉(安徽)には赤軍が入りました、その家族は上海に逃て瘄てる様です。


『萚渲文藝』は面白くないと思ふ。郭君は何か云ふだらう。この先生は自分の光榮の古旗を保護するに全力を羼す豪僦です。


昨日は立春、始めて雪が降りました、併したちにとけて仕舞ひました。僕は食ふ爲めに或る本屋の賴に庥じて他人の小説を選掊して居ます、三月中旬頃完了します。昨年の末に短評一册出版しました、别封して一册送ります。今年には尚ほ二册の材料(皆昨年かいたもの)を持って居るから少なくとも二册出版するだらう。


洛文 上 二月六夜


增田兄炬燵下

[译文]

  一月卅日信拜读。木实女士的杰作,决非“一笑的东西”。它已脱离从头上长出四根棍以当手脚的境界,成为颇写实的东西。脸的画法也端正。中国美人画已经去找了,我的字写好后一并寄上。

  但我这里的海婴男士,却是个怎么也不肯学习的懒汉,不读书,总爱模仿士兵。我以为让他看看残酷的战争影片,可以吓他一下,多少会安静下来,不料上星期带他看了以后,闹得更起劲了。真使我哑口无言,希特拉有这么多党徒,盖亦不足怪矣。

  白话信读过了。多处是日本式的句子,但大抵可以看懂,只有两三句还费解。实际上中国的白话文尚未成形,外国人自然不容易写的。我对吴君不大熟悉,但从他的回信所发的议论看来,我以为此人是颇不足道的。第一,我不赞成“幽默是城市的”的说法,中国农民之间使用幽默的时候比城市的小市民还要多。第二,把日本的切腹、投水等看做幽默,不知是何道理?严肃地观察或描写一种事物,当然是非常好的。但将眼光放在狭窄的范围内,那就不好了。第三,说俄国文学没有幽默,这与事实相反。即在目前也有幽默作家。吴君好像是自满的,如果那样,就停留在一个小资作家的地位了。依我看,同他通信也不会有什么好结果。

  但最近,红军进入此君的故乡(安徽),据说他家的人逃到上海来了。

  《台湾文艺》我觉得乏味。郭君要说些什么罢?这位先生是尽力保卫自己光荣的旧旗的豪杰。

  昨日立春,初次下雪,但随即融化。我为糊口,应某书店之托,编选别人的小说,三月中旬左右可成。去年年底出版了一册短评集,已别封寄上一册。今年还有两册材料(都是去年写的),看来至少还可以出两本。

洛文 上 二月六夜


增田兄被炉几下
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