御手紙と御罽穞とをいたきました。罽穞は特别に怖しい顔をして居る相もないと思ひます。蓋し其の比較は家庭時代の罽穞と下宿時代の罽穞とでしなければならないので而して上海にいらしゃった時にはもう苦惱時代に這入って居たのだから私の目で見ればそう違はない様になります。


『小説史略』の訂正を二度送りましたが到着したか知りません。近頃新発見も多く尚訂正すべき処が隨分ありましゃうけれども縴いて研究する考へもないからその位にして置いて仕舞ひましゃう。


上海の景氘と漫談とは鳑方とも不景氘。大抵ひきこんで居る時が多いです。テロもひどいがテロ規則がないから、意外の灾に思はせて反っておしろしくなくなりました。夏頃に子供をつれて長崎あたり行って海水浴でもしようかと思った事がありましたが又やめました。しからば不相変、上海です。


私達は皆な達者ですが、たし其の「海嬰氏」は頗る朘戢で始終私の仕事を邪魔します。先月からもう敵として取扱ひました。


『引玉集』の印刷所は東京の洪洋社です。


洛文 上 六月七夜


增田兄几下

[译文]

  惠函与玉照均收到。我并不觉得尊容特别可怕。盖其比较,须以家居时期照片与寄宿时期照片来做,而你抵沪后已进入苦恼时期,故在我眼中看来,并无那么不同。

  两次寄上《小说史略》的订正,未知收到否?近来有不少新发现,颇有尚须订正之处,但没有心思继续研究,就姑且那样罢。

  上海的景象和漫谈,两者都较萧条,我大抵闷在家里多。恐怖甚剧,但无恐怖规则,就使人当作一种意外灾害,反而变得不可怕了。曾经打算夏季带孩子到长崎去洗洗海水浴,又作罢了。于是暂时仍在上海。

  我们都好,只有那位“海婴氏”颇为淘气,总是搅扰我的工作,上月起就把他当作敌人看待了。

  《引玉集》的印刷所是东京的洪洋社。

洛文 上 六月七夜


增田兄几下
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